しゃるるの日記

2018年に亡くなった父の話、アルツハイマーの母との生活なんかを書いてみる。なんか気になったことなんかも。

変わるって大変

こんにちは

 

アルツハイマーの母と一緒に暮らしていますが、ああ、これは困ったことになりそうだ、と思うことが最近2件発生しました。

別に困りはしないけど、説明や解説が増えると思われる件。

 

それは新元号と新札発行のニュース。

 

母にとって令和は知らない単語。それどころか平成が終わるのも分からない。

 

新聞やテレビで令和と写ると「なにこれ?」「え?平成って終わるの?来月から新元号??」と始まる。そして毎度おなじみ、「で、今日は何月何日の何曜日なの??」と続く。

新札の発行もそう。5年後を目処に発行って・・・5年後は今より確実に進んでいるのだから・・・というか、それよりもお札が新しくなること自体が分からないだろうな。

これから新札のニュースが流れるたびに「え?お札って新しくなるの?」「え?〇年後から?」「で、今日は何月何日の何曜日なの??」・・・。

 

ああ、こうやって時代は動き、患者は置いていかれるのか・・・。

切ないなぁ。早く特効薬が開発されないかなぁ・・・。

 

なんだかんだで母は母だった

こんにちは

 

母と食事会へ行ったことがある。

 

前にちょっとしたことでお願いをした会社からお誘いがあり、料理はコース料理、1万円相当のもので、無料で頂けるという。

ただし条件があり、一品一品、出てくる料理に関して、簡単なアンケートに答えて欲しいとの事。

どんなアンケートかと思ってみてみると、すべてにチェック欄がある、つまり記述式ではない、答えを選択する形のアンケートだったので、答えるのに苦労するものではなかった。

 

実際に頂いてみたが、どの料理もとても美味しく、不満なところはほとんどなかった。

 

ただしアンケート部分で1つだけ、「ここはなんて答えればいいんだ・・・」と悩むところがあった。

それは、「このコース料理は1万円だが、その値段は高いと思うか安いと思うか妥当と思うか?」という部分だった。

 

・・・迷った。なんて答えればいいのだろう・・・?

こういうときは、申し訳ないが、他のレストランのコース料理と比較して答えることぐらいしか出来ないのだが、悲しいことに、これまで私の人生で1万円のコース料理なんて食べたことがない・・・たぶん・・・なので、比較ができない!

 

しかし何も書かずに出す勇気もなく、結局は妥当、の欄にチェックをつけて出した。

 

 

家に帰って母に聞いてみた。

母は「そんな質問あったっけ?」などと相変わらず覚えていないのだが(判ってはいたけど一応聞いてみた)、私が返答に困ったよ、と話すと意外な答えが返ってきた。

それは「そういう時は私は何も書かないよ」というものだった。続けて「大体、そういうことを聞いてくること自体、ちょっと失礼なんじゃない?」と言った。

 

あ~~~~~!そうか~~~~~!私は返答に困っていたのではなく、自分の中でこの質問自体に少し嫌悪感を抱いていたのか!とそこで初めて気がついた。

この質問を聞かれたときになんとなく「嫌な感じ」「しっくり来ない感じ」に気づいてはいたけど、それは正に母のいう「こんなこと客に聞くんじゃないよ!」でまるっとくるめられる感情だったのだなぁ・・・。

 

母はアルツハイマーで、普段はご飯を食べたことも忘れてしまうほどだけれども、人としての感情とか、感じる部分とか、考えることとか、そういうことはまだまだ健在で、他の人と全く違っていない、おんなじなんだ、と改めて感じた。

 

いいぞ、お母さん。できればそのままで健康に長生きして欲しいなぁ。

これ以上病気が進まないように、早く医学が進歩しないかなぁ・・・。

 

試練

こんにちは

 

アルツハイマーの母と一緒に居ると、どうしてもいらいらしてしまうことがある。

 

私が作った食事をおいしい、おいしいと言って食べてくれたのに、食べ終わった15分後には食べたことすら忘れている。

「おいしいおいしいって言いながら食べたじゃん!」というのだが本人は「食事したっけ?」と、食事したこと自体を忘れている。

 

私の機嫌がいつも良く、どんなことがあっても「ま、いっか、しょうがないよな、病気だもんな!」と思える、清く正しい心があればいいのだが、残念ながらどっかに忘れてきたらしく、いらいらすることも多い。

 

そんな時、私はなるべくこう思うようにしている。

「これは神様からの試練なんだろうな」

 

人生なんて思ったように上手に前へ進めることなんてない。大体誰にでも苦労は起こりえる。「超えられない試練など神は与えない」とかなんとかよく聞くせりふだけど、ま、そういうことなんだろうなと思う。

というか、「そういうことにしとこうかな、ま、そういうことにしとけぇ~、自分!」と、軽い気分で毎日を過ごすようにしている。出来ないときも多いけどさ。

 

深刻になってもしょうがないのだ。それでアルツハイマーが治るわけでもないのだし。

 

 

平均貯金額

こんにちは

 

毎月の低い給料の中から、どうやってやりくりしていくかというのは、もう働き出してから何年も悩み続けている問題。残念ながら今だに解決していない。

果たして今の調子で出費と貯金を続けて将来大丈夫なのだろうか・・・?

それなりに貯金はしているつもりだけど、果たしてどうなのか・・・?

 

年代ごとによる平均貯金額ってのがある。

テレビやネットでよく見るあれ。世間一般の方々の貯金額を年代別にしたものをよく見るんだけど・・・あれってどうなのさ?

大体、アンケートに答えた人々ってのは、自分の貯金額を真面目に答えているものなのかい?

もし万が一、私がアンケート回答者だったら絶対に自分の貯金額を真面目に答えたりしないよ。だって嫌だもの。

そんな人だらけだった場合、つまり正確な自分の貯金額を答えずに、適当に回答した人ばかりだったら、はじき出された平均貯金額は全くのうその額になるよねぇ?

・・・・そんなもの当てに出来るのかいな?

というわけで、あれは信用ならないんじゃないの?と発表されるたびに疑問に思うわたくしでした。

 

お金貯めなきゃなぁ・・・。

 

 

父の知らない世の中

こんにちは

 

当たり前だけど、毎日生きるってのは、前進。

世の中も動き、前進する。

 

近所の、何ヶ月か前には鉄骨だったものが今では立派な外観の建物になっている。

甥っ子が危なげなく歩けるようになり、猛暑だった夏から季節はとっくに冬になっている。

 

そんな時の流れを、亡くなった父は知らない。

 

私は、新しく建った立派な外観の建物を見るたびに「ああ、これは父の知らない建物だ」と思う。

 

父が亡くなった去年の7月は土台しか無いような状態だったから、生きていたらおお、こういう建物になったのか、と見上げていたんじゃないかな。

 

災害や世界情勢、関わっていた仕事に関すること、とにかくすべてにおいて去年7月から動きがないものなどない。

私は、父は物知りだったから世の中がどう動いているのか、あの世でも気になっているんじゃないかと思っている。ま、あの世からこちらの情勢を見るなんて簡単なことなのかもしれないけど。

 

これからますます「父の知らない世の中」になっていくのか・・・と思うと少し寂しい気持ちになる。父の知っているものが無くなり、父の知らないものが増えていくということがとても残念に思える。

なんでこんな気持ちになるのか、良くわからないのだけれど・・・。

 

しかし、ま、風景は変わる。世の中は変わる。変わるは常(つね)。

なので、ひとつひとつ「これは父の知らないものだな・・・」と確認し、自分を納得させて生きていくことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

野次馬

こんにちは

 

来年のお正月は、今年父が亡くなったので無い。

喪中。

少しは楽なお正月になるかも。おせち料理とか、今年は省略するから。

 

父が亡くなってから自分の考えが変わったかというと、微妙。

けどたまに、ああ、これは父が亡くなったからそう思えるようになったんだな、と自分で思うことがある。

 

さっき家の近くに救急車が来た。具体的にどこの家で呼んだのかまでは判らないけど近くまで来た。

我が家の近くには野次馬が一頭住んでいる。

近所で火事なんかがあると喜び勇んで家を飛び出し、現場へ確認しに行き、様子を伺っていかにすごいことだったかをご近所に振れ回るという、野次馬の見本のような人が居て私はいつもあきれていたのだが・・・

最近私はその行動に対して「ま、いいのかもしれない。そういうことが出来るってことは、とにかく健康な証拠だよ」と思うようになった。

「何でもかんでも健康だから出来るんだよ。身体が動けなくなったら何にも出来ない」という当たり前のことを目の前にしたらそう思えるようになった。

 

父は今年7月に亡くなったが、その3~4ヶ月前ごろから腹膜播種を患い、お腹と同時に足もむくみ始めた。本人も家族もいろいろと努力したのだけれど、なかなか良くならなかった。

最後の方は布団から起き上がるのも大変な状態だった。

だんだん体力が無くなっていく父を毎日見ていたからか、健康というものの尊さを改めて感じ、思ったことは、

ああ、人間、健康であればとりあえずは生きられる。

ということだった。

 

野次馬だろうがなんだろうが健康なんだよ、その野次馬は。

健康なんだからいいじゃないか、だって健康なんだもの。

一番尊いよ。

私は今ではその野次馬に、そのまま健康でいてくれ、とまで思うようになったのだから、父の死は私に何かを与えてくれたのだろうな。ま、親が死んで何も思わないという人も居ないと思うけど。(いや、居るかも)。

 

 

 

転倒

こんにちは

 

今日は母のお姉さんと外でお食事をしてきた。

昔の思い出話に花が咲いてとても楽しい時間を過ごすことが出来た。

 

だがその帰り道、2人で歩いているときに母がすっころんだ。

何もない平坦な広い歩道だったのだけれど、何かの拍子に転んでしまった。

わたしがあっ!と思ったとき、咄嗟に母の身体を受け止められればよかったのだけれど、冬で厚着をしていたので、身体が思うように咄嗟には動けず、そのまま道路に顔面をつけてしまった。

 

母は運動神経があまりなく、以前に転んだときも、手はついたのだが身体を守ることが出来ずに頭と顔面を打った経験がある。

 

ヒヤッとした。

でも幸いなことに、今回はひざと手で自分の身体を守ることが出来たようで、顔面への被害は最小限にすることが出来た。

手袋や厚地のパンツをはいていたこともあってか、怪我はほとんどなかった。手のひらを少しこすった程度で済んだ。

 

ほっとした。本人もどこも痛くないというので、更にほっとした。

ほっとはしたけど、だいぶ時間が経った今でも「あの時私がきちんと母の身体を支えていれば・・・」とか「帽子もかぶせていれば顔面を守れたかも・・・」などと考えたりして、なんとなく不安な気持ちでこれを書いている。

 

「二度とこんなことがないように気をつけなければいけない!」などと考えるから余計に気を張ってしまうのだろうな。

「たいした怪我もしなかったのだから良かったじゃないか、自分!」となぜ自分に言えないのかなぁ・・・。それが言えればずいぶんと楽になれるのではないかと思うのだがねぇ・・・。

 

とにかくお母様、もうこれ以上転ばないようにしてください。

お願いします。